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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)6599号 判決

原告 富士信用金庫

右代表者代表理事 吉積胖

右訴訟代理人弁護士 棚野誠幸

藪野恒明

被告 梶岡勝義

梶岡健

梶岡弘功

相田正則

松下武司

右三名訴訟代理人弁護士 七尾良治

金子利夫

主文

一  被告梶岡勝義は、原告に対し、金一億円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による金員を支払え。

二  被告梶岡健は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による金員を支払え。

三  被告梶岡弘功は、原告に対し、金四〇五〇万円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による金員を支払え。

四  被告相田正則、同松下武司は、各自原告に対し、金七八万円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による金員を支払え。

五  原告の被告相田正則、同松下武司に対するその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用中原告と被告梶岡勝義、同梶岡健、同梶岡弘功間に生じた分は右被告三名の負担とし、原告と被告相田正則、同松下武司間に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を右被告両名の負担とする。

七  この判決は第一ないし第四項に限り仮に執行することができる。

理由

第一  被告勝義に対する請求について

一  ≪請求原因事実の認定 省略≫

二  被告勝義が請求原因3(二)の借入金六五〇万円につき五七二万円のほかに七八万円を支払い、全額弁済した旨の被告勝義主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

三  そうすると、原告の被告勝義に対する請求は理由がある。

第二  被告健に対する請求について

一  ≪請求原因事実の認定 省略≫

二  ≪証拠≫によると、被告健は、昭和五二年三月二三日、原告に対し、被告勝義が信用金庫取引によつて原告に対して現在及び将来負担する一切の債務につき連帯保証したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三~七 ≪請求原因事実の認定 省略≫

八 そうすると、原告の被告健に対する請求は理由がある。

第三  被告弘功、同相田、同松下に対する請求について

一  請求原因1、3、4の事実が証拠上認められることは前記第二、一、三ないし七のとおりである。

二  ≪証拠≫を総合すると、被告相田、同松下は昭和五〇年一二月二七日、被告弘功は昭和五一年八月二六日、それぞれ原告に対し、被告勝義が信用金庫取引によつて原告に対して現在及び将来負担する一切の債務について連帯保証したことが認められ、≪証拠≫中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右できる証拠はない。

三  被告勝義が請求原因3(二)の借入金六五〇万円全額を弁済した旨の右被告ら主張事実が認められないことは前記第一、二で判示したとおりである。

四  被告相田は、同勝義の四〇〇万円の借入金債務につき、被告松下は、同勝義の二〇〇万円の借入金債務につきそれぞれ連帯保証するものと誤信して根保証の文言を記載した取引約定書に署名捺印し、原告に対し根保証の意思表示をしたものでその意思表示には要素の錯誤がある旨主張するので、この点について判断する。

≪証拠≫を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告(住吉支店)は、昭和四三年後半に被告勝義と普通預金取引を始め、その後当座勘定を開設し、昭和四四年五月一〇日、被告勝義に対し、同人が梶岡組の名称で経営する建築工事請負業の短期の運転資金に充てるため手形貸付を開始した。さらに、原告は、昭和四六年七月三〇日、被告勝義に対し、手形割引取引を開始したが、従来の手形貸付に加えて手形割引取引をすることになつたので、同被告に保証人を立てることを要求した。そこで、同被告は、妻の兄で衣料卸売業を営む被告相田(同被告は原告が被告勝義の主力取引銀行であることを知つていた。)と妻の姉の夫である大北三郎に対し、原告から梶岡組の事業資金の融資を受けるので保証人となつてほしい旨を依頼したところ、右両名は、これを承諾し、昭和四六年七月三一日、原告と被告勝義との間の信用金庫取引約定、すなわち、適用範囲(手形貸付、手形割引、証書貸付、その他一切の取引に関連して生じた債務等)、遅延損害金、期限の利益喪失、差引計算、弁済等の充当順序等に関する条項のほか、保証人は本人(主たる債務者)が原告との取引によつて現在及び将来負担する一切の債務について本人と連帯して債務履行の責任を負うこと等が記載された信用金庫取引約定書(甲第一四号証)の連帯保証人欄に署名捺印し、これを原告に差入れた。右手形貸付(但し、新規貸付)は昭和五三年一一月二二日まで、右手形割引(但し、実行のみで回収を除く。)は昭和五四年一月三一日まで継続して実施された。

2  被告勝義は、昭和四七年四月、全国信用金庫連合会(以下、全信連という。)から原告の代理貸付の方法で四〇〇万円を借入れることになり、被告相田と大北三郎にその保証を依頼したところ、右両名は、これを承諾し、同月一〇日、全信連あての取引約定書(甲第一五号証の一)に保証人として署名捺印し、これを差入れた。しかし、全信連の右貸付は以後継続してなされることが予定されていない一回限りの貸付であるにもかかわらず、右約定書には保証人は被告勝義が全信連との取引によつて負担する一切の債務について債務履行の責を負う旨の文言が記載されていたので、被告相田と大北は、全信連の要求により別途被告勝義が全信連から同月二四日借入れる予定の四〇〇万円について保証人となることを承諾する旨の同月一〇日付の全信連あて保証承諾書(甲第一五号証の二、三)にそれぞれ署名捺印してこれを全信連に差入れた。

3  被告勝義は、昭和五〇年一二月二〇日ころ、原告に対し、分割返済による融資を申入れたところ、原告は、これに応じて六五〇万円の証書貸付をすることにしたが、同被告に対する与信額が増大するので、被告相田と大北三郎に対し、その保証意思を確認するため、被告勝義を介して、引続き保証人となることを求めたところ、被告相田は承諾したが、大北三郎は断わつた。

そこで、被告勝義は、岸和田市で所有のレツカー車を使用して仕事をしている親戚の被告松下(銀行に当座預金口座を有し仕事上銀行取引をしている。)に右保証人になることを依頼し承諾してもらつた。そして、被告相田は、その経営する店で、同松下は、同被告宅で、それぞれ被告勝義の持参した原告宛の、適用範囲・保証人の責任等について前記約定書と同一内容が記載された信用金庫取引約定書(甲第一号証)の連帯保証人欄と右六五〇万円の証書貸付について公正証書を作成するための委任状に署名捺印し、同月二七日、被告勝義を介して右書類と各自の印鑑証明書を原告に差入れた。そこで、原告は、同日、被告勝義に対し、六五〇万円を四五〇万円と二〇〇万円の二口に分けて証書貸付の方法で融資し、昭和五一年二月二七日、右六五〇万円の債権につき右委任状等により右両名を連帯保証人とする公正証書の作成手続をした。

以上のとおり認められ、≪証拠≫中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、被告相田、同松下は、いずれも原告と被告勝義との間の取引によつて生じた同被告の原告に対する一切の債務について連帯保証する旨を明記した信用金庫取引約定書に署名捺印しており、右両名とも職業上右記載文言の意味を理解しえたと推認できること、右両名は、いずれも原告からその保証が被告勝義の原告に対する特定の借入金債務についての個別の保証であることの説明を受けていたものではなく、右両名とも原告に対し被告勝義の原告に対する特定の借入金債務について保証する意思であることを何ら表示していないこと、原告が根保証であることを明記した信用金庫取引約定書を昭和四六年七月一一日に被告相田から徴しているにもかかわらず、昭和五〇年一二月二七日に再び同被告から同一内容を記載した信用金庫取引約定書を徴しているのは、被告勝義に対する与信額が増大することになるので保証人にそれ以後の融資について保証意思の有無を確認するためであり、同被告に対する個々の融資のたびに保証人との間で保証契約をなす必要があると考えているからではないこと(このことは原告が同被告に対し手形貸付や手形割引ごとに保証人からの約定書の差入れを求めている訳ではないことから明らかである。)、原告が被告勝義に対する前記六五〇万円の証書貸付について被告相田、同松下を連帯保証人とする公正証書の作成手続をしたのは、右の段階であらたに実行する六五〇万円の証書貸付についてとりあえず債務名義を得ておくことが望ましいと判断したためであり、右公正証書作成の事実から右被告両名の保証が右六五〇万円の証書貸付に限定されるいわれはないことが認められ、これらの事情を総合すると、右被告両名は、いずれも被告勝義の原告に対する特定の借入金債務について個別の保証をなすものと誤信していたとは認められないし、たとえそのような誤信があつたとしても、右被告両名は、いずれもそのことを原告に対し表示することなく、根保証の意思表示をしたものであるから、その意思表示の要素に錯誤が存したと認めることもできない。

したがつて、両被告の右抗弁は理由がない。

五  被告弘功は、同勝義の二〇〇〇万円の借入金債務につき連帯保証するものと誤信して根保証の文言を記載した取引約定書に署名捺印し、原告に対し根保証の意思表示をしたものでその意思表示には要素の錯誤がある旨主張するので、この点について判断する。

≪証拠≫を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告勝義は、原告に対し、昭和五一年七月三一日支払期日の手形の決済資金等として二三〇万円の融資を依頼したが、原告は、被告勝義の経営する梶岡組の業績が悪化し絶えず資金不足の状態にあつたので、右融資の申入を断わつた。そのため被告勝義は、右支払期日に第一回の不渡を出した。不渡後、被告勝義が原告の理事業務部長の合田口実に高利の負債が約三〇〇〇万円あることを話すと、同人は被告勝義に対し一五〇〇万円程度の融資なら可能であるような態度を示し、被告相田と大北三郎に保証を頼んでみたらどうかと言つた。そこで、被告勝義は、被告相田、大北三郎、取引先で相談相手でもある扇本らに原告本店に集まつてもらい、同年八月二日、合田口実が被告相田、大北三郎に一五〇〇万円程度あつたら被告勝義の事業は継続できるので保証を続けるよう話したが、右両名は、被告勝義が不渡を出し業績が極度に悪化しているので、保証を継続することを断わつた。

2  被告勝義は、同月三日ころ、司法書士事務所で原告が被告勝義の承諾を得ずに同被告所有の土地建物に極度額五〇〇万円の根抵当権を同月二日付で設定していることを知つたので、原告に対し、同月七日付の内容証明郵便をもつて、右根抵当権設定の事実や原告が定期預金の預り証を被告勝義に渡さないことなどについて抗議し誠意ある回答を示さない場合は法的手段に訴える旨通知した。これに対し、原告の方では、同月一〇日、合田口、原告の住吉支店長坂井田彰らが被告勝義方を訪れ、同被告に対し同被告の事前の承諾なしに前記根抵当権設定登記手続をしたことを陳謝し、右登記手続をした事情を説明した。その際、被告勝義や同席していた友人の扇本らは、合田口に対し、原告の融資の続行を強く迫つたので、合田口は、被告勝義に対し、梶岡組の経営内容、同被告の負債内容を洗い直すよう指示した。合田口は、同月一一日ころ、被告勝義らから要求されて右根抵当権設定登記を無断でしたことの陳謝、右登記を錯誤により抹消する手続をとることなどを記載した書面(乙第七号証)を同被告に手渡した。その後、原告の方で被告勝義の提供した資料により、被告勝義の高利の負債は約三六〇〇万円であり、そのうち三〇〇〇万円を原告から融資すれば、梶岡組は再建の見込があると判断し、その融資を検討したが、梶岡組の業績が悪化した中での高額の融資なので、同被告に対し、被告相田、大北三郎、兄の被告弘功の保証と父梶岡源吉名義の土地建物の担保提供を要求し、被告勝義も広島の実家の全面的協力が得られると答えた。

3  原告住吉支店の坂井田支店長と安里昌弘支店次長は、同月一五日ころ、被告弘功の保証意思の確認と提供される予定の担保物件の調査のために広島の被告弘功方へ赴いた。坂井田支店長らは、被告弘功方において、同被告や父の梶岡源吉に対し(右両名は既に被告勝義から手形の不渡を含む原告との間の従来の取引経緯について報告を受けていた。)、被告勝義は梶岡組の経営不振により不渡を出したが、同被告は強い事業再建の希望を有しており、経営不振の原因となつた高利の負債を凍結すれば梶岡組の再建の見込のあること、梶岡組の将来の受注見込などを説明し、現状では梶岡組の再建には困難な問題があるが被告弘功や梶岡源吉の保証、資金援助、担保提供等の協力が得られれば原告としても被告勝義に対し右三〇〇〇万円の融資をすることが可能であり、梶岡組の事業が再開されればその運転資金についても融資する用意がある旨を話した。これに対し、被告弘功は、坂井田支店長らに対し、自己が保証人となり梶岡源吉名義の土地建物を担保に提供するからと、原告の被告勝義に対する全面的支援を要請した。しかし、原告としては、被告弘功の保証や梶岡源吉の担保提供のほかに、被告相田、大北三郎の保証も必要と考えていたので、坂井田支店長らは被告勝義らと共にさらに検討を加えた上で同被告に対する融資について結論を出すことにした。

4  坂井田支店長は、同月二一日ころ、被告相田、大北三郎らを原告住吉支店に呼んで原告の被告勝義に対する新規融資について引続き保証人となることを要請したが、右両名ともこれを断わつた。しかし、原告は、梶岡組の受注にかなり期待の持てること、被告勝義の実家の全面的な協力が得られる見込のあること、提供される担保物件(梶岡源吉名義の土地建物のほかに被告勝義所有の土地建物も担保に供されることになつた。)も相当にあることを考慮し、同被告に対し、三〇〇〇万円の証書貸付をすることに決定した。なお、原告は、右三〇〇〇万円の融資を検討するに際し、被告松下に対しては直接あるいは被告勝義を介し保証人となることを要請しなかつた。

5  そこで、坂井田支店長と安里支店次長は、同月二六日、被告相田と大北三郎の保証が得られなかつたことの説明と被告勝義を通じて同弘功に用意してもらつている印鑑証明書を得て契約書類を作成するため、再び広島の被告弘功方へ赴いた。被告弘功は、同被告方において、坂井田支店長らの持参した従来の前記約定書と同一内容を記載した信用金庫取引約定書(甲第二号証)の連帯保証人欄に署名捺印し、登記申請手続や公正証書作成手続用の委任状等の書類にも署名捺印してこれを坂井田らに交付した。坂井田支店長らは、当日、梶岡源吉名義の土地建物に根抵当権を設定する予定であつたが、被告勝義から老令の父梶岡源吉の気持を考え、なるべく早く担保の負担から免れさせるため普通抵当権設定にしてほしいとの要望が出たため、これを検討し、同人名義の土地建物の価格は二〇〇〇万円に満たないと考えられること、被告勝義名義の土地建物に設定してあつた根抵当権の極度額合計が一一〇〇万円であること(原告は被告勝義に対し前記極度額五〇〇万円の根抵当権設定登記の抹消登記手続をすることを約していたことは前述のとおりであるが、両者の合意により今回の新規融資のため右抹消登記手続をしないことにした。)などを考慮し、梶岡源吉名義の土地建物には原告の被告勝義に対する三〇〇〇万円の貸付金のうち二〇〇〇万円を被担保債権とする抵当権を設定するにとどめることを了承した。そして、原告は、同日、被告勝義に対し三〇〇〇万円の融資を右抵当権の被担保債権額に合わせて二〇〇〇万円と一〇〇〇万円の二口の証書貸付として実行した。その後、原告は、同年九月二七日、前記公正証書作成用委任状により右二〇〇〇万円の証書貸付につき被告弘功と梶岡源吉を連帯保証人とする公正証書作成手続をとつた。

以上のとおり認められ、≪証拠≫中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、被告弘功は、坂井田支店長らから原告の被告勝義に対する融資は当面は三〇〇〇万円であるが梶岡組が事業を再開すれば、その運転資金についても引続き融資をする用意のあることの説明を受け、弟の被告勝義に対する全面的支援を要請し、そのことを前提として根保証であることを明記した信用金庫取引約定書に連帯保証人として署名捺印したもので、原告が梶岡源吉名義の土地建物に被担保債権二〇〇〇万円の抵当権を設定するにとどめたのは被告勝義の老令の父に対する考慮からの要望を受け入れた結果にすぎず、また原告がその後に二〇〇〇万円の証書貸付分につき公正証書を作成したからといつて被告弘功の保証責任が二〇〇〇万円に限定されるいわれは何らないことが認められ、これらの事情を総合すると、被告弘功は、同勝義の原告に対する債務のうち二〇〇〇万円の債務についてのみ保証するものと誤信していたとは認められないし、たとえその旨の誤信があつたとしても、被告弘功はそのことを原告に表示せず、根保証の意思表示をしたものであるから、その意思表示の要素に錯誤が存したと認めることもできない。

したがつて、被告弘功の右抗弁は理由がない。

六  被告相田は、昭和五一年八月初め、原告に対し、本件連帯保証契約を将来に向つて解約する旨の意思表示をしたから原告の被告勝義に対するその後の貸付につき保証責任を負わない旨主張するので、この点について検討する。

被告相田の本件保証が根保証であることは前記二で判示したとおりであるが、期間の定めのない根保証契約は、契約締結後の事情の変更により保証人の主債務者に対する信頼が害されるに至つた等保証人として解約申入をするにつき相当の理由がある場合には、右解約により債権者が信義則上看過できない損害を被るような特段の事情がある場合を除いて、保証人から将来に向つて一方的に解約できるものと解するのが相当である。前記五で認定した事実によると、被告相田は、被告勝義が昭和五一年七月三一日に第一回不渡を出した直後の同年八月二日、原告の合田口理事から、原告の被告勝義に対する新規の融資につき引続き保証をすることを求められ、被告勝義が不渡を出し業績が極度に悪化しているとしてこれを断わり、さらに、原告の坂井田支店長から同月二一日ころ、再度、原告の被告勝義に対する新規の融資につき引続き保証をすることを求められた際もその意思のないことを明言しており、右のように被告相田は、原告に対し、被告勝義の不渡後の原告の被告勝義に対する新規の融資につき一貫して保証意思のないことを表明していることからすると、これにより同被告は、本件根保証契約につき同月二日、将来に向つて解約申入の意思表示をしたものと認めるべきであり、一方被告勝義の経営する梶岡組は、当時、その業績が悪化し、絶えず資金不足の状態にあり、原告からも同年七月三一日の支払手形決済資金二三〇万円の融資をも拒否されて不渡を出すに至つたのであつて、同被告の資産状態は極度に悪化しており、被告相田の被告勝義に対する信頼は昭和五〇年一二月二七日の保証契約締結後の事情の変更により著しく害されたものと認めることができるから、他に特段の事情のない本件においては右解約申入は有効であり、被告相田は、原告に対し、昭和五一年八月二日以降に発生した被告勝義の原告に対する債務につき保証人としての責任を負わないというべきである。

ところで、原告が被告相田に対し保証人としての責任を求めているのは証書貸付金六五〇万円の残額七八万円と手形貸付金残額のうち一四二二万円であるところ、前記甲第四号証の一ないし七、第五号証の一、二、第六号証の一ないし三によると、昭和五一年八月二日現在の六五〇万円の証書貸付の残高は五〇〇万円、手形貸付の残高は一九一万七〇〇〇円であるが、右証書貸付残額五〇〇万円は昭和五三年一二月二八日までに一部弁済されて現在の残額は七八万円であること、右手形貸付残額一九一万七〇〇〇円は昭和五一年八月二八日にすべて弁済されていること(それ以後の昭和五二年二月九日以降の原告の被告勝義に対する手形貸付は被告相田の保証責任の及ばない新規の貸付と解すべきである。)が認められる。

したがつて、原告の被告相田に対する請求は七八万円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は失当である。

七  被告松下は、原告は、信義則上、昭和五一年八月以降の被告勝義に対する新規貸付金について被告松下の保証責任を追及し得ない旨主張するので、この点について検討する。

被告松下の本件保証が根保証であることは前記二で判示したとおりであるが、期間の定めのない根保証契約においては、契約締結後において主債務者の資産状態が極度に悪化し危殆に瀕するなどの事情の変更があつた場合には、債権者が債務者にあらたに融資するには、あらかじめ保証人に右事情を通知するとともに新規貸付についての保証継続の意思の有無を確認する必要があり、債権者がこれを怠つたため、保証人において右事情の変更を知らず、保証人がこれを知つておれば当然になしえた筈の保証契約の解約権行使の機会を失わせた場合には、債権者は信義則上右事情変更後の新規貸付につき保証人の責任を追及することはできないと解するのが相当である。

前記五で認定した事実によると、原告は、被告勝義が昭和五一年七月三一日その資産状態が極度に悪化して不渡を出した後、同被告に対し新規の融資をするに際し、原告自身保証人の意思確認の必要があると判断して従前被告松下と同時に保証人となつていた被告相田に対しては右意思を確認したが、被告松下に対しては引続き保証する意思の有無につき何ら確認せず、むしろ以後の融資につき同被告の保証を考慮に入れずに貸付を実行していたことが明らかであるうえ、被告松下本人尋問の結果によれば、被告松下は、原告や被告勝義から同被告経営の梶岡組の状況につき何の通知もなかつたため、同年七月末日当時被告勝義の資金繰りが行詰つて手形不渡を出すまでに至つたことを全く知らず、そのため保証契約の解約をすることもなかつたことが認められるから、原告は、被告松下に対し、信義則上同勝義の不渡後の新規貸付につきその保証人としての責任を追及できないと解すべきである。

ところで、原告が、被告松下に対し保証人としての責任を求めているのは、証書貸付金六五〇万円の残額七八万円と手形貸付金残額のうち一四二二万円であるところ、同年七月三一日現在、六五〇万円の証書貸付残高は五〇〇万円、手形貸付残高は一九一万七〇〇〇円であるが、右証書貸付残額は昭和五三年一二月二八日までに一部弁済されて現在の残額は七八万円、右手形貸付残額は昭和五一年八月二八日にすべて弁済されていることは前記六で判示したとおりである(その後昭和五二年二月九日以降の原告の被告勝義に対する手形貸付は被告松下の保証責任の及ばない新規の貸付と解すべきである。)。

したがつて、原告の被告松下に対する請求は七八万円及びこれに対する昭和五四年四月一七日から支払済まで年一八・二五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は失当である。

八  被告弘功は、原告は被告勝義に対し請負代金の代理受領方式による多額の手形貸付を行うようになつた時期、その手形貸付について期日に弁済がなされず手形の書替を行つた時期等に、右事実を保証人の被告弘功に告知すべきであるのにその告知を怠り、さらに被告勝義に対し主導的に右手形貸付をした上手形書替が固定化しその額が多額となつていたにもかかわらず同被告に対し多額の新規融資を継続し放慢な貸付を行つていたものであるから、原告は被告弘功に対し信義則上その保証人としての責任を追及できない旨主張するので、この点について検討する。

≪証拠≫並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告勝義は、昭和五一年九月ころ、公共事業受注等の必要上梶岡組を法人化して訴外会社を設立し、代表取締役となり、被告弘功にもこのことを通知していたが、会社組織となつても梶岡組経営の実体や事業内容に格別の変化はなかつた。原告は、梶岡組が法人化したものの保証、抵当権等の担保につき一々主債務者を訴外会社に変更することが煩瑣なため、従来どおり被告勝義個人に対する融資とすることにした。訴外会社は、その後大手企業からも受注するようになつて、いつたん落ち込んだ業績も回復方向に向い、昭和五二年一月ころからは、建築工事の資材を訴外会社で調達する一式請負の受注をするようになつたので、右資材購入資金や労務賃金等に充てるため原告から融資を受けることになつた。右融資は、訴外会社が元請業者等との間で請負契約を締結するとその請負代金の範囲内で原告が被告勝義に手形貸付をし、その請負代金を原告が訴外会社に代理して受領することにより回収するという方法でなされ、右の方法による融資は訴外会社が倒産するころまで続いた。

2  原告は、昭和五二年三月二三日、被告勝義に対し、前記の三六〇〇万円の高利の負債返済に充てる資金として三五〇万円の証書貸付をした。その際、被告勝義の弟の被告健と工事現場責任者の奥村則彦が右借入債務を含め被告勝義が原告に対して負担する債務につき連帯保証する旨を約定し、根保証であることを明記した信用金庫取引約定書(甲第三号証)を原告に差入れた。

3  訴外会社の受注はその後増大し、昭和五一年八月ころ約三〇〇万円であつた月商(もつとも第一回不渡前の梶岡組の月商は約八〇〇万円から約一〇〇〇万円であつた。)が、昭和五二年六月ころから昭和五三年二月ころまでの間は約三〇〇〇万円となつた。これに伴い原告の被告勝義に対する手形貸付も増加し、昭和五二年五月三〇日当時の手形貸付残高は三八二五万円であつたのが、その後も増加の一途をたどつた。しかし、梶岡組の資金繰りは依然として苦しく、同年一〇月二二日には被告勝義は支払期日に決済できないため手形の書替をし(当日における原告の被告勝義に対する手形貸付残高は八三〇五万円)、その後手形書替は恒常化し、昭和五三年三月二〇日以降は手形貸付残高が常時一億円を越える状態となり、被告勝義は、昭和五四年一月一三日、同日の手形貸付残高一億四六〇〇万円につき手形書替(支払期日は同月二五日)をした。そして、訴外会社は同年三月三一日ついに倒産し、被告勝義も同年四月一六日支払を停止した。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

被告弘功の本件保証が根保証であることは前記二で判示したとおりであるが、期間及び金額の定めのない根保証においては、保証契約締結後相当期間が経過した場合あるいは主債務者の財産状態が極めて悪化したり、その取引額が当初の予測を超えて著しく増大した場合には、保証人がこれを知り、あるいは重大な過失によりこれを知らなかつたという特段の事情がない限り、保証人の責任は信義則上客観的に相当な額に制限されると解すべきである。右認定の事実によると、梶岡組の昭和五一年八月当時の月商は約三〇〇万円であつたのが昭和五二年六月ころの月商は約三〇〇〇万円で取引額は被告弘功の本件保証時に比し約一〇倍に増加してはいるが、右保証時における梶岡組の業績は不渡直後でほぼ最悪の状態であり、その後引続き事業を継続していくうえで業績の回復に伴つて取引額が増大し、原告の融資額も相当に増加する場合のありうることは被告弘功においても右保証時に予測しえた筈であり(右不渡前の梶岡組の月商は約八〇〇万円から約一〇〇〇万円であつた。)、取引額が右の如く増大したのは梶岡組の業績が次第に回復してきたためであるし、原告が貸付額を増加させたのも受注拡大に対応するためであつて、元請業者からの請負代金の代理受領というあらたなある程度確実性のある回収方法を伴うものであつたのであるから、右取引額の増大や貸付額の増加が保証契約締結当初の予測を超えた過大なものであつたとまでは言えないこと、被告勝義は昭和五二年一〇月二二日手形の書替をせざるを得なかつたが、このことによつて直ちに同被告の当時の財産状態が従前と比較して極めて悪化していたとは言えないことが認められる。

ところで、原告が被告弘功に対し保証人としての責任を求めているのは手形貸付金残額のうち三〇五〇万円と前記証書貸付金三〇〇〇万円の残額一〇〇〇万円の合計四〇五〇万円であるところ、右証書貸付残額一〇〇〇万円については前述のとおり本件保証時に保証の対象として明示されていたものであり、手形貸付残額のうち三〇五〇万円という金額は訴外会社の月商が大幅に増大した直前の昭和五二年五月三〇日当時の手形貸付残高三八二五万円にも満たないものであり、被告弘功は、保証契約締結に際して原告から、三〇〇〇万円の融資を行うほか梶岡組の再開に伴いその運転資金も引続き融資する旨を聞かされていたのであるから、三〇五〇万円程度の手形貸付がなされることは当然予測してしかるべきことがらであると考えられる。したがつて、原告の請求にかかる右四〇五〇万円は被告弘功の保証責任の範囲内の金額であると解すべきであつて、被告弘功の本件保証責任額を右の金額以下にさらに制限すべき信義則上の事由があるとすることは困難であるといわざるを得ない。

したがつて、被告弘功の右抗弁は理由がなく、原告の被告弘功に対する請求は理由がある。

第四  よつて、原告の被告勝義、同健、同弘功に対する請求をいずれも認容し、被告相田、同松下に対する請求は主文第四項掲記の限度でこれを認容し、その余の請求を棄却

(裁判長裁判官 山本矩夫 裁判官 朴木俊彦 川野雅樹)

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